理解者を得たこと

「負けたのだ」という思いは、わたしを追い込む一方でした

しかし、アトランタ五輪が終わったあとの2年余り、私は精神的にどん底の状態にありました。

何かと軋轢の多い政治の世界で、私ができることは何だろう?

政界は本当に私に合った世界だったのだろうか?

悩みながらも毎日懸命に仕事に励みました。一般市民の健康づくりのために政策提言した「健康ロード」構想が、建設省のウォーキングトレイル事業に組み込まれるなど、仕事も着実に軌道に乗り始めていたとは思います。

ただ、私の気持ちが晴れる事はありませんでした。あれもしていない、これもできていないと、深夜まで必死で働いてひとり議員宿舎に帰ると様々な心の葛藤が押し寄せ、眠れない夜が続きました。

世間の声に負けて選手生活にピリオドを打った自分・・・。信念を貫けなかった弱さを責める思いが嵩じて、一種のうつ状態になっていたのだと思います。

議員を辞めようとは思いませんでしたが・・・

あの頃、何かに襲われる夢をよく見ました。オリンピック選手時代も、本番で転ぶシーンを夢に見て恐れたりしたものですが、それよりずっと恐ろしいものでした。夜中にうなされ、助けを求めて北海道の姉に電話をしたことも、1度や2度ではありません。心配した母が、病弱な体をおして上京してきたこともありました。

でも、議員を辞めようとは思いませんでした。「スポーツ選手に戻りたい、好きな陶芸の道で生きられたら」という考えが頭に浮かぶあっても、それはあくまでも自分をなだめるための空想の世界。

人に優しい社会の実現に、命がけで取り組むと決意して入った世界を中途半端に投げ出すなんて、誰よりも私自身が許しません。

理想と現実のギャップに思い悩み、どんどん痩せていく私を、家族は本当に心配しました。でも、「聖子自身の心の問題は、聖子が解決するしかない。何度もピンチを乗り越えてきたように、今回もどうにか這い上がって欲しい」と、祈るような気持ちだったそうです。

不思議と悩みが話せる人

その時現れたのが主人です。主人は警視庁に勤める警察官で、私が常々お世話になっている島村農林大臣(当時)のSP(セキュリティポリス)をしていたことから、自然にお付き合いをするようになりました。

郷里が同じ北海道

主人も北海道出身で、学生時代はラグビーをしていたのでスポーツにも興味があり、最初から共通の話題が多く、話がはずみました。私より9歳上で、何かと頼りにしていた10歳違いの兄と同じような存在に感じられたこともあったのでしょう。すぐに、心を許して話ができる大切な存在になったのです。

私はどちらかというと、悩みを人に話さず、何でも自分で抱え込もうとするタイプでした。でも、主人にだけは不思議とどんな悩みでも打ち明けることができたのです。おかげで、精神状態もどんどんいい方向へ向かいました。そんな私のようすを知っていたので、家族も結婚には大賛成でした。

本当にありがたい理解者

働く女性にとって結婚や出産は、仕事を続ける上で、ある意味では障害です。逆に言えば、仕事を辞めたい女性には、これ以上の口実はないかも知れません。政界は私には不向き?と悩んでいた当時の私もそうでした。結婚を機会に、家庭に入る道のほうがいいのではと揺れ動いて、主人に相談したのです。

でも、主人は私の性質をよく理解してくれていたようで、「病気やケガの経験から、福祉を志して政治家の道を選んだという原点を考えれば、それは家庭に入っても同じだと思う。困っている人を見たら、絶対にその人に何かをしてあげたいと思うだろう。そういう人間の性質というのは一生変わらないのだから、力を尽くせる立場で、その気持ちを生かす方がいい。その方が必ず君のためになるから、政治家をやり続けるべきだと思う。警察官という立場上、表立った応援は無理だけど、精神面での応援はできるから」と言ってくれたのです。

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